先月、青森県弘前市在府町を散歩したとき、古い看板を発見しました。
その看板は朝陽小学校のある通りにあり、「佐藤紅緑顕彰の碑」という題がつけられていました。
この佐藤紅緑という先人は弘前生まれの小説家なんだそう。
そして、私が今興味を持っている陸羯南から影響を受けたという記述が!
陸羯南と交流があった佐藤紅緑。ちょっと調べてみました。
代表作は「ああ玉杯に花うけて」
佐藤紅緑は弘前市の城下町に生まれた先人です↓(参考:弘前市立郷土文学館ホームページ)
■ 佐藤紅緑 : 明治7年(1874)〜昭和24年(1949)
- 青森県弘前市生まれの俳人、劇作家、小説家
- 代表作:小説「あん火」、「あゝ玉杯に花うけて」、「毬の行方」、「少年讃歌」
- 青森県出身者の陸羯南、福士幸次郎、加藤謙一と交流があった
朝陽小学校を卒業しており、タイトル画像の看板は朝陽小学校の父母と教師の会によって建てられたものです。
私はこれまで文学にも郷土にも興味がなかったので、初めて知ったことばかり…。
そもそも小説を読むのが苦手でして…相性が合う小説だと読めるんですが、相性が合わないと眠くなってきてしまって、いつしか小説を読まなくなってしまったんです。
でも陸羯南と交流があった人の文学は気になる…!
調べてみると、青空文庫では佐藤紅緑の作品が二作品閲覧可能です↓
- 「ああ玉杯に花うけて」
- 「少年連盟」
久々に読書してみようかな^^
陸羯南の玄関番を経て日本新聞社へ
佐藤紅緑と陸羯南が出会ったのは明治26年(1893)、佐藤紅緑が19才、陸羯南が36才のとき。
後に佐藤紅緑は陸羯南の日本新聞社に入社しています↓
- 明治26年(1893)、上京し、陸羯南の玄関番になる
- 明治27年(1894)、陸羯南が創刊した日本新聞社に入社、正岡子規に俳句を学び、号を紅緑とする
弘前市立郷土文学館によると、正岡子規からは「人間としての奥深い精神的教養を教えられ」たんだそう。
正岡子規は34歳という短い生涯の中で、弟子に教えを授けていたのか…これも初めて知りました。
その後、佐藤紅緑も同郷の福士幸次郎を弟子にします。
師弟関係が継承されていくのってすごいなぁ。自分自身にそういう経験がないもので^^;
従軍記者として義和団の乱を取材!
驚いたのが、佐藤紅緑に従軍記者の経験があること。
しかも、明治33年(1900)、26才のときに義和団の乱を清国で取材しているんです。義和団の乱の現場にいたってすごすぎる。
義和団の乱というと、会津藩士の子で青森県むつ市で育った柴五郎の活躍が思い浮かびます。
このときの柴五郎の勇敢な闘いぶりにより日本は国際的に信頼を受けるようになり、日英同盟締結へとつながりました。
義和団の乱には青森ゆかりの二人の先人が関わっていたとは驚きです。
そのときの佐藤紅緑の取材記事って残っているのかな?読んでみたいです。
今回参考にした弘前市立郷土文学館ホームページによると、現在、佐藤紅緑の娘、佐藤愛子さんの企画展が同館にて開催されています↓
- 第47回企画展 小説「花はくれない」-佐藤愛子が描いた父・紅緑-
- 令和5年4月1日(土)~令和6年3月21日(木)
この企画展の中には「上京-陸羯南、正岡子規との出会い」という展示が。観てみたいな~。
また、7月下旬から始まるスポット企画展はこちら↓
- 企画展「マンガ陸羯南 原画展」
- 令和5年7月22日(土)~令和5年9月24日(日)
陸羯南の生涯をマンガ化した作品が最近完成したようで、その原画展です。こちらも気になる…。
弘前市立郷土文学館では定期的に弘前ゆかりの文学者の企画展を開催しているようです。
青森に住んでるうちに陸羯南に興味持てていたら良かったな~。
唐突に郷土への敬意が芽生え、過去の自分を悔いる日々であります^^;
- 企画展 :第47回企画展 小説「花はくれない」-佐藤愛子が描いた父・紅緑-
- 観覧料 :小・中学生50円、一般100円
- 開催期間:2023年4月1日(土) ~ 2024年3月21日(木)
- 休館日 :年末年始(12月29日~1月3日)、展示替期間(3月22日~3月31日)
- 開催場所:弘前市立郷土文学館(青森県弘前市大字下白銀町2-1)
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