歴史を学ぶ

【ねぶたで知る歴史】青森に舞う鬼剣舞と阿弖流為への鎮魂の祈り

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2023年の青森ねぶた祭。現地に行けない私は、YouTube中継で鑑賞を楽しみました。

そんな中、私が今暮らしている岩手県の伝統芸能が、ねぶたで表現されているのを見つけました。

鬼剣舞(おにけんばい)」が、ねぶたによって表現されていたのです。

そのねぶたの題は「東北の雄 阿弖流為と鬼剣舞」。ねぶた師、立田龍宝氏による作品です。

「東北の雄 阿弖流為と鬼剣舞」

このねぶたを制作・運行したのは、東北電力ねぶた愛好会。

ねぶた師の立田龍宝氏は、第5代ねぶた名人・千葉作龍氏の系譜に連なる実力派です。

テーマとなったのは、平安時代の蝦夷の将・阿弖流為(アテルイ)

以下に紹介するのは、制作元である東北電力株式会社がX(旧Twitter)に投稿したポストです。写真と動画でねぶたを紹介しています。

中央に阿弖流為、両脇には鬼の面をつけて刀を振るう踊り手が配されており、その姿はまさに岩手県中・南部に伝わる伝統芸能「鬼剣舞」そのものです。

燃え上がる炎の中、勇ましく迫力のある鬼たちの舞が、ねぶたの中で見事に表現されていました。

朝廷に抗った東北の英雄、阿弖流為

阿弖流為は、8世紀末〜9世紀初頭にかけて蝦夷の将として活躍した人物で、下記のような伝承が残っています。

  • 桓武天皇の命により、朝廷軍が現在の岩手県南部に進攻
  • 阿弖流為は軍勢を率い、朝廷軍を打ち破る
  • やがて征夷大将軍・坂上田村麻呂が再度進攻し、激戦の末に平定
  • 阿弖流為は降伏し、京へと護送されるが、朝廷により処刑される

この出来事は、中央政権と東北地方の衝突として語られることが多く、東北では阿弖流為を英雄視する声が今も根強く残っています。

一方で、坂上田村麻呂が阿弖流為たちの助命を朝廷に願い出たという逸話も残されています。

敵将にも敬意を示すこの精神性には、後の武士道にも通じるものを感じます。

 

この阿弖流為の関連として、以前書いたブログで盛岡市の大宮神社を取り上げたことがありました。

あまりにも阿弖流為が強かったために、坂上田村麻呂は一度撤退。

その際、朝廷は伊勢神宮に蝦夷の平定祈願をするのですが、その際に賜った神宮の御分霊を鎮座させたことから大宮神社の歴史は始まるんですよね。

岩手における阿弖流為をめぐる歴史を現代に伝えてくれています。

勇壮な鬼剣舞の本質は「鎮魂」

それでは、なぜ阿弖流為とともに鬼剣舞が描かれているのでしょうか?

そこには、鬼剣舞が本来持つ深い意味が関係しています。

鬼剣舞とは、岩手県の北上市や奥州市に伝わる郷土芸能のこと。

鬼面をつけ、刀を手に舞い踊るその姿は勇壮そのものですが、実はその正体は仏の化身。

その舞は、「念仏歌とともに踊られる亡魂鎮送を目的とした念仏踊りの一種」であり、このねぶたの鬼剣舞は阿弖流為ら東北の地で亡くなった人々の魂を慰める鎮魂の舞を表現しています。

 

現代に話を写すと、鬼剣舞の舞は今も大きな役割を果たしています。

2023年4月には、北上市で鬼剣舞の奉納公演が行われていました。

鬼剣舞が行われた理由は、東日本大震災で亡くなられた人々の鎮魂と、復興への祈願のため。

そして今年、岩手県のお隣・青森県では、阿弖流為と鬼剣舞を描いたねぶたが出陣。

このねぶたには、東北という地域の歴史と文化への深い敬意が込められているように感じました。

阿弖流為のたどった生涯、そして鬼剣舞の意味を知ったうえで改めて見てみると、このねぶたから受ける印象はかなり変わってきました。

阿弖流為を祀るように舞う鬼剣舞の姿に、静かな鎮魂の祈りが感じられました。

 

<参考資料>

青森ねぶた祭 オフィシャルサイト「東北電力ねぶた愛好会 – アーカイブ」(https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2023denryoku.html)

いわての文化情報大事典「鬼剣舞」(http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist91)

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