先日、花巻市のスーパーにて大きないちごを発見、思わず二度見するほどの大きさでした。
商品札を見てみると、花巻市産とのこと。
こんなに大きないちごを見たことがなかったもので、思わず衝動買い。
また、このいちごとの出会いが花巻のある先人のことを知るきっかけとなりました。
大きくて甘い贅沢ないちご
今回買ったいちごの品種名は「クイーンベリー」。ともかく大きい!↓
切ってみると、こんな感じです↓
この大きさですので、一口で食べ切れず。
四口くらいで食べ切ったんですが、どこを食べても甘くてジューシー。
とても贅沢なひとときとなりました。
花巻でいちごを栽培した先人
いちごを存分に味わった後、花巻市のいちごのことについて調べてみました。
すると、花巻でいちご栽培に取り組んだ近代の先人がヒット。
その名前は、斎藤宗次郎。
明治10年(1877)に生まれ、昭和43年(1968)に亡くなられた方です。
迫害されながらも、キリスト教徒としての生き方を生涯貫いた人物であり、思想家の内村鑑三の弟子でもありました。
迫害を受ける中でも、斎藤宗次郎は新聞配達や農業の仕事にまじめに取り組み、次第に人々から信頼を得ていったそうです。
その斎藤宗次郎が取り組んだ仕事の中にはいちご栽培もあり、内村鑑三もその味を絶賛したんだとか。
国産いちごの品種誕生は明治32年(1899)。以降、日本でのいちご栽培が本格化します。
なので、斎藤宗次郎のいちご栽培は当時の岩手ではかなり珍しかったのでは?と思います。
当時の人々がこのクイーンベリーを見たら、二度見するどころの驚きではないんだろうなぁ。
あの「デクノボー」のモデル?
この斎藤宗次郎なんですが、「花巻市立博物館だより」で驚きの文章を見つけました↓
斎藤宗次郎は花巻にいる間、宮沢賢治とも交流がありました。(中略)実際に賢治の散文詩「冬のスケッチ」には宗次郎をもじったと思われる「加藤宗二郎」という人物が出てきますし、一説には賢治の亡くなる直前に記された「雨ニモマケズ」の詩中に見える「デクノボー」のモデルは、斎藤宗次郎であるとも言われ、死を直前にした宮沢賢治に「そういうものに私はなりたい」と思わせたのです。
出典:花巻市公式ホームページ「花巻市博物館だより №53」
………え、あの「デクノボー」のモデル!?
宮沢賢治をよく知らない私でも知っている「雨ニモマケズ」。
あの最後の「サウイフモノニ ワタシハナリタヒ」、初めて聞いたときは感動したなぁ。
村上弘明さんが「雨ニモマケズ」を朗読する動画を見つけたんですが、やっぱり美しい詩~!↓
そのモデルと言われているのが斎藤宗次郎なのか…一体どんな人だったんだろう。
と思っていたら、花巻市博物館では下記日程にて斎藤宗次郎のミニ展示を開催予定だそう↓
- 展示内容:ミニ展示「斎藤宗次郎」
- 観覧料 :小・中学生150円、高、学生250円、一般350円 ※20名以上は団体割引あり
- 開催期間:2024年3月23日(土) ~ 2024年5月6日(月・振)
- 開館時間:午前8時30分〜午後4時30分
- 休館日 :12月28日~1月1日、7月10日~7月14日
- 開催場所:花巻市博物館(岩手県花巻市高松第26地割8番地1)
なんてタイムリー。これは行かなくちゃ!
展示を鑑賞後はまたブログに書きますので、お読みいただければ幸いです^^
<参考資料>
- 花巻市公式ホームページ「花巻市博物館だより №56」 (https://www.city.hanamaki.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/733/dayori56.pdf)
- 花巻市公式ホームページ「花巻市博物館だより №53」 (https://www.city.hanamaki.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/733/dayori53.pdf)
- 花巻市公式ホームページ「令和5年度花巻市博物館行事予定」 (https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/1008981/1009017/1018118.html)
- 国立国会図書館 電子展示会「近代日本人の肖像」
- 農研機構ホームページ「技術が築いたイチゴ大国」(https://www.naro.go.jp/publicity_report/season/045720.html)
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