歴史を学ぶ

【御製に詠まれた風景】昭和38年の弘前行幸啓──「紫ににほふ 津軽の富士は」

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昭和天皇が青森県で詠まれた御製を調べていると、弘前の風景が詠み込まれた歌が複数あることに気づきます。
昭和52年(1977)の青森行幸の折に詠まれた御製も、その一つです。

この年の10月、青森県で初めて開催された「あすなろ国体」の開会式に臨席した昭和天皇は、弘前市も御視察され、秋の津軽を詠んだ次の御製を残されています。

弘前の 秋はゆたけし りんごの実 小山田の園を あかくいろどる

出典:『行幸啓誌』

りんごの産地として知られる弘前の情景を、端的に捉えた御製です。

実は、昭和天皇が弘前で御製を詠まれたのは、このときが初めてではありません。
遡ること14年、昭和38年(1963)にも昭和天皇は弘前を訪れ、津軽の名山・岩木山の夕景を詠んだ次の御製を残されています。

あかねさす ゆふぐれ 空にそびえたり 紫ににほふ 津軽の富士は

出典:『昭和の御製集成』

今回はこの御製が詠まれた背景をたどり、昭和38年の行幸啓と、両陛下が御覧になった風景について考えてみたいと思います。

全国植樹祭と津軽地方の御視察

昭和38年(1963)、昭和天皇と香淳皇后は、第14回全国植樹祭への御臨席のため青森県を行幸啓されました。

全国植樹祭は国土緑化運動の中心的な行事として昭和25年以来毎年開催されており、天皇皇后両陛下の御臨席のもと、お手植えや記念植樹などを通じて国民の森林への理解と愛情を深めることを目的としています(参考:林野庁ホームページ)。

このとき両陛下は県内を御視察され、5月21日には津軽地方にも足を運ばれました。
黒石市の青森県りんご試験場では試験場の歴史と研究内容の御説明を受けられ、園地を巡回なさりました。
また、弘前公園(弘前城跡)を御視察され、青森県護国神社では戦没者の霊を弔われました。

弘前相互銀行クラブの夕景

同日午後5時22分、両陛下は御宿泊先である弘前相互銀行クラブ(現・藤田記念別邸)に入られました。
なお、弘前相互銀行は現在の青森みちのく銀行の前身の一つです。

記録によれば、当初は雨模様であった空もこの頃には晴れ、夕焼けに照らされた岩木山が姿を現したといいます。
これを受けて詠まれたのが、先ほどの御製です。

「津軽の富士」として詠まれた岩木山は、津軽地方において象徴的な存在であり、日々の暮らしの中で仰ぎ見られてきた山でもあります。

また香淳皇后がこの夕景をスケッチブックに描かれたとされ、そのため夕食の時間がやや遅れたとも伝えられています。
御製とあわせ、当時の弘前で見られた光景の印象深さを物語る逸話といえるでしょう。

岩木山をめぐる記憶の継続

なお、昭和天皇は昭和22年(1947)にも弘前を御視察されていますが、当時は天候に恵まれず岩木山を見ることができなかったとされています。
当時の東奥日報の報道によると、「陛下は非常に残念がっておられた」そうです。

そうした経緯を踏まえれば、昭和38年の夕映えの岩木山は、昭和天皇にとってひとしお印象深い光景であったと思われます。
このとき対応にあたった弘前相互銀行の唐牛社長にも、昭和天皇は「きのうの夕方晴れた岩木山をながめることができました」とお言葉をおかけになっています。

岩木山は、津軽に暮らす人々にとって身近な山です。
私自身も、夕焼けと紫色に染まった岩木山の風景を幼い頃から見てきました。
昭和天皇と香淳皇后が同じ夕景に心を留められたことは、弘前に暮らしてきた者として非常に感慨深く感じます。

津軽の風景を詠んだ御製は、歴史の一場面を示すと同時に、地域の記憶を静かに受け止める文化資料としても貴重だと、改めて感じました。

 

🧭 参考:【御製に詠まれた風景】昭和52年の青森行幸──「弘前の秋」と「小山田の園」に想いをめぐらせる

参考資料

<国立国会図書館デジタルコレクション>

  • 行幸啓誌』,青森県,1978.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12261230 (参照 2026-01-20)
  • 昭和の御製集成』,毎日新聞社,1987.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12686779 (参照 2026-01-20)
  • 弘前相互銀行五十年志』,弘前相互銀行,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11997031 (参照 2026-01-20)

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<ウェブサイト>

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