青森県、なかでも津軽地域のニュースを追っていると、弘前藩の歴代藩主が残した文化が、現在の暮らしの中にも静かに息づいていることに気づかされます。
今回取り上げる「清水森ナンバ」も、その一つです。
弘前市南部の清水森地区を中心に栽培されてきたこのトウガラシは、400年以上にわたり地域に受け継がれてきた伝統野菜です。
清水森ナンバとは?
清水森ナンバは、まろやかな甘辛さを特徴とするトウガラシで、津軽の家庭料理に古くから用いられてきました。
刺激の強さよりも、料理の味を引き立てる穏やかな辛味に重きが置かれている点が、この野菜の個性です。
私がこの清水森ナンバを初めて口にしたのは、弘前市内のホテルでの朝食でした。
清水森ナンバを使った炒め物だったんですが、辛味が角立つことなく、ご飯が自然と進む味わいでした。
ただ、そのときは清水森ナンバという名前は聞き慣れなれておらず、どうして私は津軽地域に長く住んでいるのに、この伝統野菜を知らないのだろう?とぼんやりとした疑問を持ったことを覚えています。
清水森ナンバの歴史
津軽為信が京都から持ち帰る

清水森ナンバの由来は、弘前藩初代藩主・津軽為信の時代にさかのぼります。
伝えられているところによれば、為信が京都・伏見稲荷からトウガラシの種を持ち帰り、城下で栽培を始めたのが起源とされます。
清水森地区は、為信が居城を構えていた堀越城跡の近隣に位置します。
当時この一帯が城下であったことを踏まえると、城主自らが持ち帰った作物がこの地で根づいたという伝承にもうなずけます。
この地域では現在も、地元の小学校で清水森ナンバの植え付けや調理体験が行われており、伝統野菜を次世代へと伝える取り組みが続けられています。
昭和後期に生産減──そして復活へ
江戸時代以来、津軽の食文化を支えてきた清水森ナンバですが、昭和40年代以降、海外産トウガラシの流通拡大に押され、生産量は急速に減少しました。
平成期には、栽培農家が一戸にまで減るという危機的状況に陥っています。
転機となったのは、地元農家と大学による復活の取り組みです。
品種保存や栽培技術の再構築が進められ、令和に入る頃には栽培農家は60戸を超えるまでに回復しました。
現在は研究会が中心となり、種子や流通の管理を一元化することで、品質の維持と地域ブランドの保護が図られています。
こうした努力が実を結び、清水森ナンバは地理的表示(GI)保護制度にも登録され、弘前を代表する農産物の一つとして位置づけられるに至りました。
(地理的表示(GI)保護制度とは、その地域でしか作れない特別な産品を保護する制度のこと)
清水森ナンバを知らなかった理由
この復活の歴史を知って、ひとつ腑に落ちることがありました。
弘前で暮らしていた祖母は、郷土料理をよく作る人でしたが、記憶をたどっても清水森ナンバを使った料理が食卓に並んだ覚えがありませんでした。
祖母が孫に料理をふるまっていた時期は、ちょうど清水森ナンバの生産が最も落ち込んでいた時代と重なります。
料理好きだった祖母が、このトウガラシを使わなかったのではなく、使えなかったのだと考えると、長年の疑問が自然に解けました。
津軽為信が400年前に京都から持ち帰ったトウガラシは、時代の変化の中で一度は消えかけながらも、再び地域の手によって守り育てられてきました。
為信といえば、戦国武将として津軽地方を統一し、弘前藩を創設し、体制を整備したことがよく知られていますが、清水森ナンバの栽培振興もまた、もう一つの功績と言えるかもしれません。
参考資料
- 「小学生が清水森ナンバ調理体験 弘前」(https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20241022/6080023878.html)(2024/10/22)
- 「地場のトウガラシ“清水森ナンバ”小学生が植え付け 弘前」(https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20250603/6080025807.html)(2025/6/3)
<ウェブサイト>
- 農林水産省ホームページ「第105号:清水森ナンバ」(https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/0105/index.html)(2020/12/23)
- 農林水産省ホームページ「特定農林水 産物等 登録簿」(https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/0105/pdf/0105_register.pdf)
- NARO Genebank「『清水森ナンバ』品種情報」(https://www.gene.affrc.go.jp/databases-traditional_varieties_detail.php?id=02008)

