朝陽小学校近くの通りで「佐藤紅緑顕彰の碑」という古い看板を見つけました。
この碑が教えてくれたのは、弘前出身の文学者・佐藤紅緑(1874〜1949)の存在。
そして、私の関心対象である陸羯南と深い関わりを持っていたことがわかりました。
弘前が育てた文学者――佐藤紅緑とは
佐藤紅緑は弘前市の城下町に生まれた先人です↓(参考:弘前市立郷土文学館ホームページ)
■ 佐藤紅緑 : 明治7年(1874)〜昭和24年(1949)
- 青森県弘前市生まれの俳人、劇作家、小説家
- 代表作:小説「あん火」、「あゝ玉杯に花うけて」、「毬の行方」、「少年讃歌」
- 青森県出身者の陸羯南、福士幸次郎、加藤謙一と交流があった
朝陽小学校を卒業していることから、この碑は朝陽小学校の父母と教師の会によって建てられたそうです。


陸羯南宅の玄関番から、文学の道へ
明治26年(1893)、紅緑は19歳で上京。陸羯南(当時36歳)の家に住み込み、「玄関番」として働き始めました。
その翌年、羯南が創刊した日本新聞社に入社。
そこで紅緑は正岡子規から俳句の手ほどきを受け、「紅緑」と号するようになります。
文学館の資料によれば、子規は紅緑に「人間としての奥深い精神的教養」を授けたとされます。
このように、佐藤紅緑の文学的出発点には、青森の先人である陸羯南と、俳句革新の旗手・正岡子規の影響があったのです。
さらに紅緑は、後に福士幸次郎(同郷の詩人)を弟子に迎えます。
郷土から生まれた文学的系譜が継承されていったことがわかりますね。
義和団の乱を現地で取材――従軍記者としての一面
紅緑のもうひとつの顔は、記者としての活動です。
明治33年(1900)、26歳のときに義和団の乱を取材するため清国に渡り、現地の様子を記録しました。
義和団の乱といえば、青森県むつ市で育った柴五郎の名を思い出す方もいるでしょう。
このときの柴五郎の勇敢な闘いぶりにより日本は国際的に信頼を受けるようになり、日英同盟締結へとつながりました。
この騒乱に、柴は軍人として、紅緑は記者として関わっていた………同時代に青森ゆかりの先人が別々の形で歴史の現場に立ち会っていたことに驚きました。
娘・佐藤愛子氏をテーマにした企画展が開催中
私が訪れた当時、弘前市立郷土文学館では佐藤紅緑の娘・佐藤愛子氏をテーマにした第47回企画展「花はくれない――佐藤愛子が描いた父・紅緑」が開催されていました。
展示では、佐藤紅緑の上京時のエピソードや、陸羯南・正岡子規との出会いに焦点を当てたコーナーもあり、7月下旬からは「マンガ陸羯南 原画展」が開催予定だとか。
陸羯南に関心がある者としては、これはぜひ訪れたい企画展です。
陸羯南に惹かれたことをきっかけに、佐藤紅緑という先人を知り、郷土の歴史や文学に自然と興味を持ち始めた今日この頃。
自分の育った土地から、かつて多くの文化人・言論人が生まれていたという事実に気づくと、郷土に対する敬意も芽生えてきますね。
青森に住んでいる頃からちゃんと郷土に興味を持てていればよかったんですが、やはり郷土を離れてみないとわからないことはたくさんあります。
青森県外に住みながら(ときには里帰りしつつ)、今後も青森の歴史を深掘りしたいと思います。
- 企画展 :第47回企画展 小説「花はくれない」-佐藤愛子が描いた父・紅緑-
- 観覧料 :小・中学生50円、一般100円
- 開催期間:2023年4月1日(土) ~ 2024年3月21日(木)
- 休館日 :年末年始(12月29日~1月3日)、展示替期間(3月22日~3月31日)
- 開催場所:弘前市立郷土文学館(青森県弘前市大字下白銀町2-1)