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【盛美園と明治の青森】春の話題からたどる近代の足跡

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2025年4月8日にNHK青森 NEWS WEBで配信された話題の中から、気になったニュースを備忘録的にまとめました。

今回気になったのは、平川市にある国の名勝「盛美園」に関する春の便り。

そこから派生して、「盛美園」が建築された時期の青森県の歴史も少し深掘りしてみました。

2025年4月8日の主な青森ニュース

2025年4月8日の主な青森ニュースは以下の通りです(参考:NHK青森 NEWS WEB

  • 決意新たに 青森県警察学校に92人の新人が入校
  • 青森県内初 小中一貫の義務教育学校に 子どもたち初登校
  • 外ヶ浜町と東北町の町長選告示 中泊町長選は現職が無投票当選
  • 青森 板柳町で新1年生に反射材贈呈 春の全国交通安全運動
  • 国の名勝 庭園「盛美園」開園に向け 雪囲い撤去 青森 平川

昨日に続いて、春らしい話題が多めですね。

平川市「盛美園」が4月12日より開園

今回特に気になったのは、「国の名勝 庭園『盛美園』開園に向け 雪囲い撤去」というニュースです。

ざっくり要約すると………

青森県平川市の国指定名勝「盛美園」では、冬の間に木々を守っていた雪囲いの撤去作業が行われました。

盛美園は明治時代に造られた日本庭園で、ジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』のモデルになったとも言われています。

4月8日、職人6人がイチイやマツの木に施された雪囲いを丁寧に取り外しました。

今年は例年より積雪が多く、園内では約150cmの雪が積もったそうです。松の木が1本折れ、建物の雨どいも破損したとのこと。

平川市観光協会は、庭園自体に大きな被害はなかったとしながらも、豪雪の影響をふまえ「日本らしい風景や盛美園でしか見れない風景を楽しんでほしい」とコメントしています。

盛美園の今季の開園は、昨年より1週間遅い4月12日からの予定です。

やはり盛美園も、今年の豪雪の被害を受けていたんですね。

犠牲者も多かった今冬の雪の恐ろしさが、改めて思い出されます。

盛美園と明治時代の青森県

ニュース内の「明治時代に造られた日本庭園」という記述が気になり、少し調べてみました。

すると、盛美園は明治35年(1902)から明治44年(1911)にかけて、9年もの歳月をかけて建てられたのだとか。

ちなみに、同時期に建てられた弘前市の第五十九銀行(現・青森銀行記念館)は、約2年半で完成しています。

それと比べると、盛美園の9年という建築期間はかなり長く、それだけ庭園空間にこだわっていたといえるでしょう。

となると気になってくるのは………その9年間、青森県ではどんなことが起こったのでしょうか?

明治35~44年までの青森史

その時期の青森県の出来事を、ざっくりと年表にまとめてみました。

和暦西暦青森県の出来事
明治351902盛美園 建設開始
・八甲田山雪中行軍遭難事件 / 冷害による大凶作
明治361903・八戸に初のガス灯がともる
明治371904・弘前に第五十九銀行本館(現・青森銀行記念館)が完成
・日露戦争開戦
明治381905・奥羽本線が全面開通(青森~福島)
・日露戦争終戦、ポーツマス条約締結
明治391906・弘前で津軽為信公三百年祭開催
・青森港が特別輸出港として開港
明治401907・平川市の食品製造業 高砂食品株式会社が創業
明治411908・皇太子・嘉仁親王殿下(後の大正天皇)が弘前公園に立ち寄られる
明治421909・八戸、弘前で電話回線が開通する
明治431910・青森大火
明治441911盛美園 完成

寒さに苦しめられた明治35年

盛美園の建築が始まった明治35年(1902)は、青森にとって非常に厳しい年でした。

冬の八甲田山で起きた雪中行軍遭難事件では、訓練中の兵士210名中199名が命を落とすという、日本の軍事史上最大級の山岳遭難となりました。

この訓練の背景には、当時の日本とロシアとの緊張関係がありました。

そのわずか2年後、明治37年(1904)には日露戦争が勃発。

日露戦争開戦の空気感がすでにこの地にも流れていたことになります。

また、同年には冷害による大凶作も発生しました。

雪中行軍の部隊が直面した八甲田の過酷な雪と、農村の冷害被害は、当時の寒さの厳しさを物語っています。

農民の暮らしは、さぞ過酷だったことでしょう。

そんな中で、盛美園の建設は始まりました。

青森が大きく発展した明治末期

自然災害や遭難事件など厳しい出来事がありつつ、明治末期の青森は近代化の波にも乗り始めていました。

鉄道の全線開通、電話やガス灯の普及といった文明開化の光もこの時代に差し込んできます。

インフラの整備も背景に、明治41年(1908)には当時の皇太子であられた嘉仁親王殿下(後の大正天皇)が青森県へ行啓されました。

そうした激動の変化と近代化の発展という時代の流れを受けながら、9年もの歳月をかけて、盛美園は職人の手によって丁寧に築かれていきました。

 

ここで少し話が脱線しますが………

青森県民には「めじゃーひやむぎ」でおなじみ、高砂食品株式会社(盛美園のある青森県平川市の企業)もこの時期(明治40年)に創業しています。

親しみのあるCMに油断していましたが、なんと創業118年の老舗!

まさに、この時代の青森の発展を象徴する企業のひとつかもしれませんね。

……あー、久々にあの緑のひやむぎ、食べたくなってきたなあ。

いつか盛美園を訪れたら

ここまで色々書いておきながら、実は私、盛美園にはまだ行ったことがありません。

でも調べていくうちに徐々に興味が湧いてきて、「今度青森に帰ったときに行けたらいいな」なんて、ぼんやり思っています。

歴史を知ったあとで眺める風景って、きっと少し違って見える気がするんですよね。

とりあえず、平川市が制作したこの動画でも観て、盛美園の雰囲気を掴んでおこうと思います。

参考資料

<ウェブサイト>

 

※タイトルのイラストは、Googleストリートビューの風景を参考にAIで生成した創作イラストです。元画像をそのまま使用したものではなく、商用利用を目的としたものではありません。



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