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【友好100年】大正時代に始まる日本とラトビアのつながり

先日のブログで紹介した、ラトビアのリンケービッチ大統領の来日。このニュースを見て、「日本とラトビアは要人の往来が多い関係なのかな?」と思い、外務省のホームページを調べてみたところ…平成19年(2007)、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛...
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【青森の教育家】福士百衛と三代に渡る教育の伝統

亡き祖父の恩師である青森の教育家・福士百衛(ももえ)氏について調べています。福士百衛氏は明治中期に生まれ、東京高等師範で学んだ後、秋田や青森で教鞭をとり、やがて青森の教育行政にも深く携わることになります。前回のブログでは、福士百衛氏と父・福...
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【青森の陸上選手】第一回国体3位に輝いた成田静司選手の言葉

前回のブログでは、第一回国民体育大会(以下、国体)の冬季大会が青森県八戸市で開催されていたことについて書きました。今回は、第一回国体の陸上競技で活躍した青森県出身選手について取り上げます。この選手の名前は成田静司氏。出場したのは男子400m...
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【青森の氷都】第一回国体冬季大会と八戸

先日のブログでは、約半世紀前に青森県で行われた国民体育大会(以下、国体)の「あすなろ国体」について、「あすなろ」という言葉の由来と意味について取り上げました。今回は、あすなろ国体の前に青森県で行われた国体についても調べてみました。実は、青森...
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【青森を象徴する木】あすなろ国体の名前の由来と意味とは?

先日のブログでは、来年青森県で開催される国民スポーツ大会の招致の歩みについて調べてみました。今回は、約半世紀前に青森県で開催された「第32回国民体育大会(あすなろ国体)」について取り上げてみたいと思います。取り上げる内容は、国体の大会名とな...
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【青森の教育家】福士武雄・百衛父子の経歴に見る共通点

亡き祖父の恩師である青森の教育家・福士百衛(ももえ)氏について調べています。福士百衛氏は明治中期に生まれ、東京高等師範で学んだ後、秋田や青森で教鞭をとり、やがて青森の教育行政にも深く携わることになります。前回のブログでは、福士百衛氏の出身地...
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【青森の教育家】福士百衛ゆかりの薬師堂と福王寺

亡き祖父の残した文章を読んだことがきっかけで、青森の教育家・福士百衛(ももえ)氏について調べています。福士百衛氏は明治中期に生まれ、東京高等師範で学問を修めた後、秋田、青森で教鞭をとり、やがて青森の教育行政に深く携わるようになった先人です。...
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【青森の教育家】福士百衛が生きた激動の時代

前回のブログで、青森の教育者・福士百衛氏について取り上げました。これから彼の人生を詳しく追っていきますが、その前に「福士百衛氏がどんな時代を生きたのか?」を整理してみたいと思います。福士百衛の生まれた明治23年福士百衛氏は明治23年(189...
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【青森の教育家】祖父の日記から知る教育者・福士百衛

亡き祖父が書き残した日記を今読んでいます。今読んでいる箇所は戦前のあたり。祖父が中学時代を振り返った日記です。その中に「福士百衛校長先生」という名前が登場するのですが、この人物に興味を引かれました。フルネームで書かれていることから、祖父はこ...
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【岩手の歴史】一関藩を治めた田村家の驚きのルーツ

先日のブログで書いた東京駅駅長、吉田十一。吉田駅長が生まれたのは、現在の岩手県一関市。生まれた家は、一関藩の家老の家でした。恥ずかしながら、初めて一関藩という藩があったことを知った私。岩手県=盛岡藩という印象が強く、現在の岩手県にいくつの藩...