先日のブログでは、来年青森県で開催される国民スポーツ大会の招致の歩みについて調べてみました。
今回は、約半世紀前に青森県で開催された「第32回国民体育大会(あすなろ国体)」について取り上げてみたいと思います。
取り上げる内容は、国体の大会名となった「あすなろ」についてです。
あすなろがどのように青森と結びつき、どんな意味を持っているのか、その由来と意味を調べてみました。
あすなろ国体「心ゆたかに力たくましく」
約半世紀前の昭和52年(1977)、青森県で開催された国民体育大会(国体)の「あすなろ国体」。
「あすなろ」とは、日本三大美林の一つである「青森ヒバ」の別称「ヒノキアスナロ」に由来しています。
青森県の津軽半島と下北半島に分布しており、青森県を象徴するものとして県の木にも指定されています。
「あすなろ」には「あすこそヒノキになろう」という意味があると言われ、未来志向を感じさせ、国体の名前にぴったりですね。
また、この大会のスローガンである「心ゆたかに力たくましく」も、この「あすなろ」の持つ意味と相性が良く、直球で力強い印象を与えます。
この大会で青森県は天皇杯を獲得、大会も成功に終わりました。

青森の「あすなろ」の学術的な発見
国体の大会名にもなった「あすなろ」という言葉が、青森ヒバの別称「ヒノキアスナロ」に由来していることをご紹介しましたが、そのヒノキアスナロが学術的に認識されたのは約120年前、明治時代にさかのぼります。
以下、東北森林管理局ホームページの「青森ヒバ」の説明を引用します。
1901年(明治34年)本多静六(日本で最初の林学博士)が、従来のアスナロと青森県のアスナロとの間に違いがあることを発見し、牧野富太郎がアスナロ属の中に、アスナロの一変種「ヒノキアスナロ」として命名しました。
出典:東北森林管理局ウェブサイト「『青森ヒバ』とは」
本多静六というと、私の中では「四分の一天引き貯金法」の人という印象が強く、ついつい忘れがちですが、この方は明治神宮の森を設計した偉大な学者でもあります。
そして、この本多静六が発見した青森県のアスナロに「ヒノキアスナロ」と命名したのが、朝ドラでも話題になった植物学者・牧野富太郎です。
この二人が関わったことから、ヒノキアスナロの学名は「Thujopsis dolaburata SIEBOLD et ZUCCARINI var. hondai MAKINO」となりました。
青森県の木が明治の偉人と繋がり、なんだか胸アツです。
長部日出雄の好きな言葉「あすなろ」
「あすなろ」は郷土の小説家とも関わりがあります。
青森県出身の直木賞作家・長部日出雄氏は、「『あすなろ』こそが本県の特長」とし、以下のような言葉を残しています。
あすなろ、という言葉が好きだった。いうまでもなく、ヒバの別名であって、あすなろ(翌檜)は、『明日はヒノキになろう』の意味だとされている。私はその言葉のなかに、自分の成長にかける少年の夢もしくは後進地帯の夢が秘められているように感じていた。
出典:青森県立図書館ウェブサイト「長部日出雄(おさべ・ひでお) 常設展示作家 1」
この文章を読んで深く納得したのが、「後進地帯の夢」という言葉です。
私自身、青森県での日々を振り返ると、統計や調査結果で厳しい現実を何度も目にしてきたので、「後進地帯」という表現も致し方ないと感じます。
そんな自県にネガティブな印象を持ちつつも、郷土愛を持っている人が多いのが青森の県民性のように思います(あくまで私の感想ですが)。
長部日出雄氏は青森県を「後進地帯」としつつも、未来への希望や夢を「あすなろ」という言葉に見出していたのだと思います。
こんな風に故郷を「あすなろ」と重ねる長部氏の考え、素敵だなぁ…。
青森ヒバが明治の偉人によって学術的に発見されたこと、その別称「あすなろ」に成長や発展への願いが込められていることを今回初めて知りました。
青森県で初めて開催する記念すべき国体、青森の先人はとてもふさわしい名前をつけたとしみじみ思います。
次に帰省した際には、青森ヒバのグッズを購入してみようかな。
縁起の良い「あすなろ」、身近に置いておきたいと思います。
参考資料
<ウェブサイト>
- 青の煌めきあおもり国スポ
- 東北森林管理局ウェブサイト「『青森ヒバ』とは」(https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/syo/aomorizimusyo/aomorihibatoha.html)
- 青森県立図書館ウェブサイト「長部日出雄(おさべ・ひでお) 常設展示作家 1」(https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/bungakukan/uploads/ab354b8e53f6ef480451508591834453.pdf)