最近ぼんやりと考えるようになった将来のこと。
老後資金のことや、万が一のときのことなど、あれこれ考えています。
今回考えてみたのは、死後の自分の体のこと。
「献体」という選択肢が気になり始めています。
「献体」は未来への社会貢献
「献体」という言葉になじみのない人も多いかもしれません。
実際、私の義理の両親も「ケンタイってなんぞや?」という感じでした。
弘前大学(青森県弘前市)の医学部のウェブサイトに「献体」の説明が載っていたので、以下の通り引用します↓
御自分の死後、自分の遺体を医学・医療の教育と研究のために大学に提供することです。これによって、良医が養成され、また医学の研究が一層進歩することになります。遺体を提供することによって私達の家族が、子孫が、また社会の人々がその恩恵を受けることになります。言わば献体は未来への社会貢献です。
出典:弘前大学 大学院医学科研究科/医学部医学科 ウェブサイト「献体の手びき」
「献体=医学生の実習に遺体を提供すること」くらいの理解だったんですが、ちゃんと説明を読むとだいぶ印象が変わります。
普段意識することはありませんが、献体による医学発展の恩恵を日々受けているんでしょうね。
献体を検討する三つの理由
実は献体には昔から関心があり、最近になって献体を検討するようになりました。
そう思うようになったのには、三つの理由があります。
祖父も祖母も献体していた
私の祖父母は生前に献体の手続きをしており、死後に遺体を提供しています。
(いずれも先ほど献体の説明文を引用した弘前大学医学部に提供)
なので、私は自分の家族の遺体が医学部に引き渡される場面を二度目撃しています。
初めて遺体が引き渡されるのを見たのは、祖父が亡くなったとき。私が10代の頃です。
「おじいちゃんの体は医学部の学生さんの勉強のために役立つんだよ」と教えられたときは、「そんなこともあるのか」と衝撃を受けました。
私が献体に興味を抱くようになったのは、その頃からです。
葬儀後の遺体引き渡しが可能
献体の引き渡しは死後48時間以内に行わなければなりません。
そのため、葬儀を行う場合は亡くなった当日か翌日に行う必要があります。
少々あわただしかったものの、祖母のときは葬式をしたうえで遺体の引き渡しができました。
祖父のときは故人の遺志で葬式をやらなかったんですが、祖母とはちゃんとお別れができて本当によかった。
以前のブログに書いたんですが、私は自分の死後に小規模の葬式をやって欲しいと考えています。
葬式後に遺体引き渡しができるなら、献体も悪くない選択肢のように感じられます。
医学研究の発展に貢献できる
これはさきほどの引用文の通り。献体は未来への社会貢献です。
私のこれまでの人生を振り返ると、社会に貢献することが少なく、社会に助けられることばかり。
社会への恩返しという意味でも、献体に関心を持っています。
とはいえ、決断できない…
ここまで献体を検討する前向きな理由を書いておいてなんなんですが………
献体、決断できていません。
自分が死んだ後の体のことなのに、やっぱり怖いと思ってしまうんですよね~。
考えてみれば、祖父母は自分の寿命を悟った頃に献体を申し込んでいて、覚悟がある程度できていたんですよね。
現役世代の私が考えるのは、まだまだ早いように思えてきました。
とはいえ、自分の死後について考える良い機会にもなりました。
こういうことが毎日の生活を大事にすることに繋がるんじゃないかな、と思います。
こんなことを考えていたら、ふと「メメント・モリ」という言葉を思い出しました。
「メメント・モリ」は「なんじは死を覚悟せよ」という意味があるラテン語(参考:コトバンク)。
本来の意味とずれているかもしれませんが、献体について考えることは私なりの「メメント・モリ」になりました。
<参考資料>
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