前回のブログでは、第一回国民体育大会(以下、国体)の冬季大会が青森県八戸市で開催されていたことについて書きました。
今回は、第一回国体の陸上競技で活躍した青森県出身選手について取り上げます。
この選手の名前は成田静司氏。出場したのは男子400mで、見事に3位に輝きました。
終戦から1年後に行われた、記念すべき第一回国体に出場した成田静司氏とは、どんな人物だったのか?興味があり、少し調べてみました。
その結果、成田静司氏は昭和の激動の時代を生きた者として非常に重要な言葉を残していたことがわかりました。
※1950年代に世界的に活躍した青森県出身の卓球選手、成田静司氏とは同姓同名の別人です。
第一回国体・陸上400mで3位に輝く
JSPO 日本スポーツ協会ウェブサイトによれば、第一回国体の夏・秋季大会で3位以内に入賞した青森県出身者は、成田静司氏ただ一人でした。
成田氏が出場したのは陸上競技男子400mで、結果は以下の通りです。
- 1位:吉田正平(東京)53秒4
- 2位:鈴木恕夫(愛知)53秒9
- 3位:成田静司(青森)54秒1
近年、青森県出身の陸上選手は長距離走やマラソンが多いという印象がありますが、短距離走の選手も活躍していたんですね。
成田静司氏が振り返った激動の時代
少し調べてみたところ、昭和58年(1983)に青森陸上競技協会が出版した書籍に成田静司氏の言葉が寄せられていました。
その書籍は「青森陸上競技協会六十年の歩み」。第Ⅱ部「戦前の黄金時代」から、以下の通り引用します。
競技日記より 成田静司
日記抜粋により主な戦績や想い出を述べます。
昭和15年第4回全日本ジュニア400m優勝、インカレ等上位入賞。16年全日本選抜東京選手権800m
優勝。インカレ等上位入賞。16年度全日本陸上800m第1傑。18年箱根駅伝、小生箱根山走破、日大優勝、靖国神社へゴール。在学中400、800R、400R、1,600即ち100mから駅伝まで走った事になる。18年4月スパイク禁止。種目制限。800mは英国の種目との事で中止。7月試合中止。10月学徒出陣壮行会が青春の地を湧かせた神宮競技場で挙行。グランドの土をお守りにして私は海軍航空隊特攻隊員として決死奉公を誓い、あの駅伝の靖国神社が私の人生のゴールとなった。幸に生を得て昭和21年第1回国体に出場。400m3位、西京極競技場に集った選手は、スパイクを軍靴にかえて戦った人達が多く、戦死したアスリートの冥福を心から祈った事が昨日の事の様に思出されます。戦争のない平和な日本の幸福なアスリート諸君よ、若き青春の血を理屈なしにグランドに賭けるのも人生の尊い思出の一こまではないだろうか。
この文章に思いがけず出会った私、途中、一瞬息を止めてしまいました。
淡々と書かれた言葉の中で語られる選手としての華やかな成績と、時代の壮絶さ。
戦争になれば様々なことが制限されることは頭では理解していましたが、陸上競技ではスパイク禁止、800m走中止という事態が起きていたことは今回初めて知りました。
学徒出陣、航空隊特攻隊員、そして戦後すぐに行われた第一回国体。
おそらく、成田静司氏は私の祖父と同じ大正生まれだと推測されるのですが、この世代は本当に戦争に翻弄された世代ということを再確認しました。
祖父を含め、私の親戚の大正生まれの人たちは、決して戦争時代のことを語ろうとしませんでした。
それほどつらい記憶なんだと思います。
この短い文章から想像以上の壮絶さが伝わってきて、成田静司氏の文章をタイピングする手が途中で何度も止まりました。
”平和な日本の幸福なアスリート諸君よ”
特に印象的なのは、「戦争のない平和な日本の幸福なアスリート諸君よ」という語りかけの部分です。
特攻隊員として死を覚悟し、仲間を失った人が語る「平和」という言葉には、何とも言い難い説得力があります。
私は現代を生きる一般人ではありますが、平和な日本を生きる者として、この言葉を非常に重く受け止めました。
個人的な話になるのですが、亡くなった祖父にあの時代のことについて話を聞けなかった後悔が、いつまでも私の中に残っています。
その後悔を抱えながら日々を過ごしていた中、成田静司氏の言葉を知ることができ、とても貴重な機会になったと感じています。
祖父から直接話を聞けなかったのは残念ですが、その分、祖父と同じ時代に生きた人の言葉を知ることを続けようと思います。
ちなみに、ご自身が「小生箱根山走破、日大優勝」と語っている通り、成田静司氏は箱根駅伝に出場した経験があります。
成田静司氏の箱根駅伝出場についても、機会があれば調べてみたいと思います。
参考資料
- 『青森陸上競技協会六十年の歩み』,青森陸上競技協会,1983.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12147681 (参照 2025-05-15)
<ウェブサイト>
- 卓球王国「【伝説のプレーヤーたち】成田静司 前編『自分が出られないのは悔しかった。日の丸がまぶしかった』」
- JSPO 日本スポーツ協会ウェブサイト「国民体育大会」(https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/images/archives/01_kokutai.pdf)