先日、北上済生会病院のルーツは明治天皇の「済生勅語」にあったことについて書きましたが、北上市と明治天皇の関わりは他にもないものかと調べてみました。
すると、本日7月5日に明治天皇が北上市をご訪問なさっていたことが判明しました。
今から約150年前の明治9年(1876)のことです。
現在の北上市にあたる相去村、黒沢尻町、鬼柳村、飯豊村にてご休息なさっています。
せっかくなので、古い文献を基に明治9年7月5日の巡幸の記録をまとめてみました^^
(タイトルの写真は、桜のシーズンの展勝地・陣ケ岡からの風景で、奥に広がるのは北上市の市街地です)
明治9年の東北・北海道巡幸
秋田県横手市で特別展「皇室の名宝と秋田」が開かれることについて書いたブログでも触れましたが、明治天皇は歴代天皇の中で初めて全国を巡幸なさった天皇です。
その中でも、長期間に渡った巡幸は「六大巡幸」と呼ばれ、明治9年の巡幸もそのうちの一つです↓(参考:国立公文書館ホームページ)
① 明治5年(1872)の九州・西国巡幸
② 明治9年(1876)の東北・北海道巡幸
③ 明治11年(1878)の北陸・東海道巡幸
④ 明治13年(1880)の甲州・東山道巡幸
⑤ 明治14年(1881)の山形・秋田・北海道巡幸
⑥ 明治18年(1885)の山口・広島・岡山巡幸
こうして見ると、東北・北海道巡幸はかなり初期に行われていることがわかります。
“五日、雨、夕に及びて歇む”
明治9年の東北・北海道巡幸の日程は約一か月半、6月2日から7月20日の日程で行われました。
7月5日には、現在の岩手県金ヶ崎町、北上市、花巻市にあたる地域を訪問されています。
明治天皇聖蹟保存会の「明治天皇聖蹟 第1」によると、この日の記述の冒頭は「五日、雨、夕に及びて歇む」。
朝から雨が降っていて、夕方に止んだようです。
その日のご日程は以下の通りです(赤色アンダーマーカーは現在の北上市にあたる地域)。
- 水澤町 戸坂萬六宅を御出発
- 8時 :金ヶ崎小学校にて御小憩
- 9時28分:相去村 千田市左衛門宅にて御小休
- 10時45分:黒澤尻驛 中島孫兵衛宅にて御昼食
- 13時19分:飯豊村大字成田字北在家 齋藤弓次郎宅にて御小休
- 15時 :花巻町 渡邊彌四郎宅に御泊
ちなみに、このときに鬼柳村の九年橋(現在の北上市にある橋)にて明治天皇は和賀川での漁業をご覧になっています。
九年橋はこのときの巡幸に合わせて建設された橋で、橋の名称は巡幸の年にちなんで名づけられました。
現在も鬼柳町と市の中心部を繋ぐ橋として機能しています。
ゆかりの場所は現存している?
「明治天皇聖蹟 第1」には明治天皇がご訪問した場所の昭和初期時点の状態についても記載しています。
それによると、現存しているところは少ないですが、跡地に碑が建っているところもあり、当時の歴史を現在に伝えています。
- 水澤町 戸坂萬六宅 → 現在は小野徳三郎商店
- 金ヶ崎小学校 → 跡地に標木あり
- 相去村 千田市左衛門宅 → 旧宅跡に碑あり
- 黒澤尻驛 中島孫兵衛宅 → 昭和初期に事務所が建つ
- 飯豊村大字成田字北在家 齋藤弓次郎宅 → 跡地に標木あり
- 花巻町 渡邊彌四郎宅 → 現存せず
7月5日のご出発地は戸坂萬六宅(現在の小野徳三郎商店)、行在所(御宿泊地)は渡邊彌四郎宅(現在の花巻市一日町)。
この道程を現在の交通事情で移動しようとすると、こんな感じになります↓
この日の行程は「七里三十二町餘」(約31km)との記録なので、だいたい同じくらいですね(当然と言えば当然ですが)。
明治天皇ゆかりの場所については後日訪問してまたブログに書こうと思います。
もしよければ、訪問した際のブログもお読みいただければ幸いです^^
<参考資料>
・明治天皇聖蹟保存会 編『明治天皇聖蹟』第1,明治天皇聖蹟保存会出版事務所,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8311614 (参照 2023-07-05)
コメント