歴史を学ぶ

【青森県弘前市】弘前藩「中興の祖」を祀る高照神社

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青森県弘前市高岡にある高照神社(たかてるじんじゃ)に初めて行ってきました。

高照神社で祀られているのは、弘前藩(通称、津軽藩)の「中興の祖」である4代目藩主、津軽信政

訪問当日は晴天に恵まれ、高照神社の社殿と自然の美しさをじっくり楽しむことができました。

訪問のきっかけは秋田の津軽藩御本陣

今回高照神社に行こうと思ったのは、秋田県大仙市花館にある津軽藩御本陣跡を訪れたことがきっかけでした。

津軽藩御本陣について書いたブログの内容をまとめるとこんな感じ↓

  • 現在の秋田県大仙市花館にはかつて津軽藩の御本陣があった
  • 花館の御本陣の記録に木村門弥という幕末の津軽藩家臣が登場
  • 青森の記録にも木村門弥という津軽藩の士族が明治期に登場
  • その記録によると、木村門弥は高照神社に弓を奉献している

津軽地域で生まれ育ちながら、この記録を読んで初めて高照神社の存在を知った私…。

先日弘前市に行く用事があったので、高照神社にも行って参りました。

長年の大雪に耐えてきただろう立派な鳥居

津軽信政の廟所に始まる神社の歴史

高照神社は津軽藩の居城、弘前城から西方に約10km、岩木山のふもとにあります。

約300年前、弘前藩4代目藩主 津軽信政の廟所が建てられたことに神社の歴史は始まります。

弘前市ホームページの高照神社の説明をまとめると、こんな感じ↓

  • 宝永7年(1710)、津軽信政死去、高岡の地に神葬される
  • 正徳元年~2年(1711~1712)、五代 信寿が社頭景観を整える
  • 宝暦5年(1755)、七代 信寧が拝殿を造り替える
  • 文化7年(1810)、九代 寧親が随神門を建てる
  • 同12年(1815)、九代 寧親が廟所門を建てる
  • 明治10年(1877年)、初代藩主 為信が合祀される

津軽信政は津軽藩の「中興の祖」と評される藩主で、「新田開発・産業と文化の振興などに尽力した名君」として知られています。

現在は桜の名所として知られている弘前城内を整備したのも信政なんだとか!

朱色の社殿と境内を流れる水の美しさ

津軽信寿、信寧、寧親ら三人の藩主によって整備された高照神社は、非常に美しく立派な神社です。

朱色に塗られた社殿に豊かな自然と、見るべきところがたくさんある場所でした。

朱色の拝殿が鮮やか
桃色の花の装飾は津軽家の家紋「津軽牡丹」?
本殿横には道があり、本殿を近くで見ることができます

特に美しいのは、境内を流れる水。晴天に恵まれたことも大きかったのでしょうが、手水舎の水や小川が光に反射して綺麗でした。

水も苔も岩も綺麗
自然の音に癒されました

津軽信政は高岡の地に神葬せよという遺命を残したと言われていますが、その理由がわかるような気がします。

紅葉の季節になったらさらに美しいんでしょうね。

いつかまた高照神社を訪れようと思います。

 

  • 訪問場所:高照神社
  • 住所  :青森県弘前市高岡神馬野87
  • 訪問時期:2023年9月

 

<参考資料>

・弘前市ホームページ「高照神社」(https://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni20.html)

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