去年、東京に行く機会があり、東京駅(東京都千代田区)を利用しました。
そのとき、ぜひ行きたいと思って行った場所があります。
その場所は、「原首相遭難現場」。
東京駅の丸の内南口の券売機手前にあります。
大正10年11月4日に起きた悲劇
過去に何度か岩手県出身の「平民宰相」原敬首相についてブログを書いてきました。
盛岡市の原敬記念館を見学したり、原敬首相の氏神神社に行ったり。
原敬首相ゆかりの地めぐりは興味深いです。
今回訪れたのは原敬首相が最期を迎えた場所。いつもより神妙な気持ちで臨みました。
丸の内南口の券売機のすぐ近くには、「原首相遭難現場」と記された案内板が掲示されています↓
大正10年11月4日 午後7時20分、内閣総理大臣原敬は、京都で開かれる政友会京都支部大会におもむくため、丸の内南口の改札口に向かっていた。そのとき、一人の青年が飛び出してきて案内にあたっていた高橋善一駅長(初代)の肩をかすめ、いきなり刃わたり5寸の短刀で原首相の右胸部を刺した。原首相はその場に倒れ、駅長室で手当てを受けたが、すでに絶命していた。犯人は、原首相の率いる政友会内閣の強引な施策に不満を抱いて凶行におよんだと供述し、背後関係は不明であった。
出典:「原首相遭難現場」案内板
※5寸は約15cm
原敬記念館で予習しては来たものの、改めて歴史の事実を読むと、暗い気持ちになります…。
床面に埋め込まれた六角形の印
この案内板のすぐ手前の床面には、小さな六角形の印が埋め込まれています↓
まさにこの印が埋め込まれた場所で、原敬首相は襲撃されました。
この印を見て思い出したのは、原敬記念館で見た襲撃当時に原敬首相が着用していた服の展示。
元々は素敵な服なんですが、刺された跡や手当ての跡が残っていて、言葉を失ってしまいました。
あの服の映像が鮮明に思い出されて、しばらくこの印を呆然と眺めていました。
テロを許してはいけない。月並みな言葉なんですけど、この言葉しか出てきませんでした。
※この服の展示品については、原敬記念館を紹介する下記動画(1:33~)で見ることができます↓
東京駅で二度起きた首相襲撃事件
東京駅を後にしてから知ったんですが、東京駅では二度の首相襲撃事件が起きていたんですね↓
- 大正10年(1921)…原敬刺殺事件
- 昭和5年(1930)…浜口雄幸狙撃事件
浜口首相襲撃事件が起きた現場は、新幹線中央乗り換え口への階段近く。
原首相遭難現場と同様、案内板と印の埋め込みがあるそうです。
東京駅だけで二度の事件って、当時の日本は本当にテロが多発していたんですね。恐ろしい…。
………でも、2022年に起きたテロを思い出すと、今の日本の治安も十分恐ろしいのかな。
この二人の首相の襲撃事件現場の案内板と印なんですが、吉田十一という方が設置したようです↓
大正10年11月に原敬首相が刺殺され、昭和5年11月に浜口雄幸首相が狙撃された東京駅では、それぞれ事実を伝えるプレートや印が残されている。JR東日本によると、設置の経緯は不明だが、一部文献では2代目東京駅長だった吉田十一氏が設置したという伝聞が残されている。
出典:産経新聞「安倍氏銃撃現場㊥ 『忘れたい』乗り越え直視 なぜ過去のテロ現場は記憶を刻んできたのか」
駅長くらいの立場にいないと設置は困難でしょうから、この吉田十一氏が設置したんでしょうね。
後世の人間が歴史を知る場を作ってくれたことが本当にありがたいです。
原敬記念館を訪れたときに思った「もし原敬首相が生きていたら…」というタラレバ。
原敬首相が暗殺された現場を訪れると、やっぱりこのタラレバを考えてしまいます。
そんなタラレバに虚しさを感じながら、丸の内南口を後にしました。
- 訪問場所:原首相遭難現場(東京駅 丸の内南口)
- 住所 :東京都千代田区丸の内2丁目7
- 訪問時期:2023年12月
<参考資料>
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