先日のブログでは、日本とラトビアとの友好関係は100年以上に及び、平成19年(2007)には天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)がラトビアの首都リガを御訪問なさっていたことについて書きました。
今回はそのときの御訪問時に詠まれた御製(ぎょせい、天皇陛下が詠まれる和歌)について取り上げます。
この御製から、日本とラトビアの歴史の共通点が見えてきました。
ラトビアの歴史をたどった御訪問先
このときの上皇上皇后両陛下のラトビアの首都リガにおける御訪問先は以下の通りです。
- リガ城(歓迎行事)
- 自由の記念碑(ご供花)
- 自由の記念碑前広場(市民とのご交流)
- ブラック・ヘッド・ギルド(大統領夫妻主催の午餐会)
- 占領博物館
- ラトビア大学
自由の記念碑と占領博物館
自由の記念碑とは、第一次世界大戦後のラトビア独立戦争(1918~1920年)で命を落とした兵士たちに捧げられたモニュメントで、1935年に完成しました。
ラトビアでは「自由のシンボル」とされる重要な場所で、平成30年(2018)には当時の安倍晋三首相も献花を行っています。
Googleストリートビューでも見ることができます↓
また、日程の後半に訪れた「占領博物館」は、その名称の通り、ラトビアがソ連およびナチスドイツに占領されていた時代の資料を展示する施設です。
目を背けたくなるような壮絶な歴史が、そこには記録されていることと思います。
Googleストリートビューで見てみると、黒く重々しい外観…。
ストリートビュー上に見える博物館のロゴデザインは、白地に荒々しく引かれた二本の太い黒い線。
このデザインは、おそらく二つの国(ソ連とナチスドイツ)から占領されていたことを示しているのでしょう。
御製「ラトビア占領博物館」
この占領博物館を御視察なさった上皇陛下は、一首の御製を詠まれています。
シベリアの 凍てつく土地に とらはれし わが軍人(いくさびと)も かく過ごしけむ
「シベリアの凍てつく土地に囚われた我が兵士たちも、このように過ごしていたのだろう」という意味になります。
占領博物館の展示を通じて、上皇陛下は日本軍のシベリア抑留者たちに思いを馳せられたと思われます。
日本とラトビアの友好100周年を迎えた2021年、在ラトビア日本国大使館のXアカウントはこのときの御製の写真を公開しています↓
2007. gada 25. maijā Latviju apmeklēja Japānas imperatoru pāris (pašlaik – atkāpušies no troņa). Pēc Latvijas Okupācijas muzeja apmeklējuma imperators sacerēja dzeju, pieminot Sibīrijas nometnēs ieslodzītos latviešus un japāņu zaldātus.#JapanLatvia100 #JPLV100 pic.twitter.com/vLO8wlI4tk
— Japānas vēstniecība Latvijā / 在ラトビア日本国大使館 (@JapanEmb_Latvia) November 5, 2021
シベリア送りにされたラトビア人たち
では、なぜ上皇陛下はラトビアの歴史に触れて、シベリア抑留の御製を詠まれたのでしょうか。
その理由を調べていく中で、ラトビアにも「シベリア送り」という痛ましい歴史があることを知りました。
先日のブログで触れた通り、ラトビアは1921年に日本を含む5か国から国家承認を受け、独立国家として歩み始めました。
しかし、1939年に独ソ不可侵条約が結ばれると、ラトビアはソ連の勢力圏に組み込まれ、1940年には併合されます。
この時点で日本との外交関係は断絶します。
その後の1941年6月14日、独立時代の指導者層を含む約15,000人のラトビア人がシベリアへと送られました。
第二次世界大戦中はラトビアが独ソ戦の戦場となり、ナチス・ドイツによる占領と、再度のソ連支配を経験します。
そして、1949年3月25日。「ラトビア近代史の中で最も悲劇的な日」とも言われる出来事が起こります。
「シベリア追放事件」と呼ばれるこの事件では、わずか数日のうちに42,000人以上(当時の人口の約2%)がシベリアに強制連行されました。
このとき、バルト三国合計で連行された人数は94,799人(30,620世帯)と言われています。
この42,000人以上、人口の約2%という数字だけでも衝撃が大きいのですが、さらに驚愕するのは、「犠牲者の73%が女性及び16歳以下の子供」であったこと。
このシベリア送りについて、ラトビアのカシェブスキス臨時代理大使は2023年の産経新聞のインタビューに対し、「本を開かずとも、高齢世代はナマの体験として記憶している。子供や女性、お年寄りまでもがシベリア送りに処せられた」と語っています。
女性や子供、高齢者が極寒のシベリア送りにされたその歴史に、言葉を失いました。
シベリアに抑留された親族を思い出す
実は私の親族にも、かつてシベリアに抑留された人(故人)がいます。
以前、その親族について知ろうとシベリア抑留に関して調べていた際、ある書籍で「日本兵が抑留された収容所に、バルト三国出身者がいた」という旨の記述を読んだことをふと思い出しました。
年代から考えると、そのバルト三国出身者は1941年に強制連行された人々だったのでしょう。
上皇陛下は極寒の地に追放されたラトビア人の資料を占領博物館で御覧になり、日本のシベリア抑留を重ねて御製を詠まれたのだと思います。
日本とラトビアがともに「シベリア送り」という歴史を経験していたことは、私にとっては他人事と思えない歴史の共通点です。
先日、ラトビアのリンケービッチ大統領が来日した際、日本政府との間で発表された共同声明。
その声明の中で、日本とラトビア両国は「自由、民主主義、法の支配及び人権といった価値と原則を共有するパートナー」と表現されています。
両国の歴史の共通点を知ったうえでこの文章を読むと、非常に説得力があるように感じます。
ラトビアで詠まれた御製と出会わなければ、この気づきはなかったかもしれません。
もう一度、シベリア抑留に関する書籍を読み直してみようと思います。
ラトビア・日本の近代史の年表
最後に、今回のブログで触れたラトビアと日本の近代史について以下の通りまとめました。
和暦 | 西暦 | ラトビアの出来事 | 日本の出来事 |
---|---|---|---|
大正7 | 1918 | ・独立宣言 | |
大正9 | 1920 | ・独立戦争に勝利 | |
大正10 | 1921 | ・国際社会から 法律上の承認を受ける | ・ラトビアを法律上承認 |
昭和3 | 1928 | ・日本とラトビアが 通商航海条約締結 | ・同左 |
昭和4 | 1929 | ・日本の公使館が首都リガに設置 | ・同左 |
昭和14 | 1939 | ・独ソ不可侵条約の 秘密議定書でソ連勢力下に | |
昭和15 | 1940 | ・ソ連に併合 | ・ラトビアとの関係が中断、 在ラトビア公使館が閉鎖 |
昭和16 | 1941 | ・約1.5万人がシベリア強制連行 ・ドイツ軍により占領 | ・日ソ中立条約締結 ・太平洋戦争開戦 |
昭和20 | 1945 | ・ソ連により再占領 | ・終戦、シベリア抑留始まる (推定57.5万人) |
昭和21年 | 1946 | ・短期抑留者の帰国開始 | |
昭和24 | 1949 | ・シベリア追放事件 (約4.2万人が強制連行) | |
昭和25 | 1950 | ・ソ連が引揚げ完了の声明 (約53万人帰還) | |
昭和31 | 1956 | ・日ソ共同宣言 ・すべての日本人が釈放され、 長期抑留者2,689人が帰国 | |
平成2 | 1990 | ・独立回復宣言 | |
平成3 | 1991 | ・日本から国家承認を受ける | ・ラトビアを国家承認 ・ゴルバチョフ大統領来日 ・約3.6万人の抑留死亡者名簿受領 |
参考資料
<ウェブサイト>
- 宮内庁ホームページ「ヨーロッパ諸国ご訪問(平成19年)」(https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h19europe/eev-h19-europe.html)
- 毎日新聞「上皇さま、90歳に 平和強く願う姿勢変わらず 資料館に足運び」(https://mainichi.jp/articles/20231222/k00/00m/040/342000c)(2023/12/23)
- 産経ニュース「脅威増すベラルーシ ラトビア代理大使「ワグネルにも懸念」 NATO部隊増強で抑止」(https://www.sankei.com/article/20230724-ZDP2OICLN5JP5DABUC4ATVJ3FU/)(2023/7/24)
- ジャパンナレッジ「日本大百科全書(ニッポニカ)」
- 「安倍総理大臣の自由の記念碑訪問」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/we/lv/page4_003634.html)
- 外務省ホームページ「戦略的パートナーシップに関する日本とラトビア共和国との間の共同声明(仮訳)」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100847829.pdf)
<在ラトビア日本国大使館 Japānas vēstniecība Latvijā>
- 「コミュニストテロ犠牲者追悼のため,自由記念碑を訪れ,献花を行いました。」(https://www.lv.emb-japan.go.jp/itpr_ja/commemoration_day_20210325.html)
- 在ラトビア日本国大使館 Japānas vēstniecība Latvijā「吉田大使はラトビア占領博物館を訪問しました」(https://www.lv.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00388.html)
- 「2013年3月 – ラトビア月報」(https://www.lv.emb-japan.go.jp/files/000165254.pdf)