歴史を学ぶ

【御製に詠まれた風景】昭和38年青森植樹祭と「みちのくの国のまもり」

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毎年、天皇皇后両陛下の御臨席のもと開催される全国植樹祭。
国土緑化運動の中心的な行事として昭和25年(1950)に始まり、「国民の森林に対する愛情を培うこと」を目的として続けられてきました。

全国各地で開催されてきたこの行事ですが、青森県でも過去に一度開催されています。
遡ること約60年、昭和38年(1963)、青森県東津軽郡平内町夜越山において第14回国土緑化大会(植樹祭の前身)が行われました。
このとき、昭和天皇は次の御製を詠まれています。

みちのくの 国のまもりに なれよとぞ 松植えてける もろびとともに

出典:『天皇皇后両陛下をお迎えして : 植樹行事ならびに国土緑化大会の記録』

本記事では、この御製が詠まれた背景について見ていきます。

昭和38年の青森行幸啓と植樹行事

第14回国土緑化大会への御臨席に伴い、昭和天皇・香淳皇后両陛下は、5月19日から22日にかけて青森県を行幸啓(天皇皇后両陛下がご一緒に外出されること)されました。
大会に御臨席されたのは5月20日、会場となったのは平内町小湊の夜越山です。

大勢の県民を含む約八千人が集まる中、昭和天皇はあかまつをお手植えになりました。
このときお手植えされたのは、甲地(かっち)あかまつと呼ばれる青森県の旧・甲地村(現在の上北郡東北町)の品種です。

また、会場に隣接する林業試験場では、鰺ヶ沢すぎと甲地あかまつがお手播きされました。
甲地あかまつは下北地方、鰺ヶ沢すぎは津軽地方の品種であり、青森県の森林資源の広がりを象徴する選定といえるでしょう。

なお、このとき夜越山にお手植えされた甲地あかまつは立派に育っており、平内町夜越山森林公園のXの公式アカウントが現在の様子を伝えてくれています。

昭和天皇の御感想に見る青森の姿

このときの国土緑化大会に関し、昭和天皇は青森県民への御感想を述べられています。以下にその一部を抜粋します。

このたび植樹行事のため青森県を訪れる機会を得たが、………(中略)………今年も多くの人々と一緒に植樹することができたのは、楽しいことであった。造林事業は全国的に年々盛んになっており青森県も着々その成果を収めているが、林業の振興は災害防止の点からも重要であり、特に青森県では防雪林の造成も大切なことであると思うから、一層の努力が望ましい。………(中略)………今後とも、東北人の本領を発揮し県民相携えて努力し、県の繁栄と国運の進展に寄与するよう希望する。

出典:『天皇皇后両陛下をお迎えして : 植樹行事ならびに国土緑化大会の記録』

ここで注目されるのは、青森の自然条件と、それに向き合う人々の営みです。

「みちのくの 国のまもりに」とは

この御感想を踏まえて冒頭の御製を読み解くと、

「このみちのくの地に、災害や厳しい自然から国土を守るものとなるよう願い、多くの人々とともに松を植えた」

と理解することができるでしょう。

ここでいう「みちのく」は単なる東北を示す地名ではなく、厳しい自然条件とその中で営みを続ける人々を含んだ言葉として用いられていると拝察します。

青森県民=東北人という視点

私がこの御製と御感想の中で印象に残ったのは、青森を「みちのく」とし、そこに暮らす人々を「東北人」として捉えられている点でした。
「青森=東北」は当然の認識ではありますが、かつての私は青森に生まれ育ちながら、「東北人」という意識を持ったことはありませんでした。
豪雪地帯で東京から離れているということもあり、他の東北五県と比べて発展が遅れていることにコンプレックスを抱いていたのです。
ただ、そんな私も東日本大震災を契機として、「東北」というまとまりを意識するようになりました。

昭和天皇の御感想には、東北の人々を、厳しい自然条件の中で営みを続ける存在として見つめる視線が感じられます。
そこには、粘り強く努力を重ねる東北の人々への信頼が込められているように思われます。

戦後直後と復興期、松に託された意味

では、この御製に詠まれた「松」は、どのような意味を持つのでしょうか。
日本において松は、古くから長寿や節操の象徴とされてきました。
その背景には、中国思想の影響があり、常緑である松は「変わらぬもの」、「節を守るもの」として理解されてきました。
こうした文脈を踏まえると、昭和天皇が植えられた松もまた、単なる植樹の対象ではなく、「厳しい環境の中でも変わらず在り続けるもの」として捉えられていたと考えられます。

同じように松を詠んだ御製として、昭和天皇は終戦間もない昭和21年(1946)に、次の一首を詠まれています。

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞをゝしき 人もかくあれ

出典:『天皇皇后御製御歌集』

「ふりつもる雪に耐えても色を変えない松の雄々しい姿のように、人もまたそのようであれ」と願う御製です。ここでいう「ふりつもる雪」は戦争直後のたいへん困難な日本の状況を指しており、そんな状況でも松のように雄々しくあろうという願いが込められていると拝察されます。
青森で詠まれた御製においても、松は困難に耐える存在として人々の営みと重ねられているように見えます。

 

みちのくの 国のまもりに なれよとぞ 松植えてける もろびとともに

終戦直後の御製と、復興が進んだ昭和38年の御製。
この二つの御製の中で松に託された意味は、時代を越えて通じるものがあるように思えます。

青森の地で詠まれたこの一首は、人々の日々の営みと、それを見つめる昭和天皇のまなざしを静かに現代に伝えているように感じました。

 

🧭参考:

参考資料

<国立国会図書館デジタルコレクション>

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<ウェブサイト>

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