このブログを始めた頃、私は生まれ故郷の青森について、気になったことをぽつぽつ調べて書いていました。
それがいつの間にか、歴代天皇の御製について調べる記事も増え、そこから行幸や行啓、皇室と地域との関わり、昔の学校や人々のことまで気になるようになりました。
気づけば記事数は100本近く。
ここまで来て、ふと思いました。
私は、なんでこんなに昔のことばかり調べているんだろう。
祖父のことを私はよく知らない
私の祖父は、青森の歴史について多くの文章を書き残した人でした。
ただ、私は祖父とそれほど親しい孫ではありませんでした。
祖父は文章に厳しい人で、小学校低学年の頃に送った手紙も、しっかり添削されて返ってきました。
しかも、
ずいぶん幼稚な文章だね。どうしてお姉ちゃんのような文章が書けないんだい?
というコメントつき。
姉は当時、小学校高学年です。
私はぽかん。
ちなみに祖父は、若い頃には共産主義に傾倒していた時期もあったと家族から聞いています。
同志、そこはもう少し年齢差を考慮していただけませんか。
いや、同志は姉妹を平等に扱った上で、容赦ない添削を実行したのか。
母は怒り、
もう手紙なんて書かなくていい
私は素直に従いました。
祖父と孫との文通、終了です。
そんな祖父が亡くなってずいぶん経ってから、私は祖父の文章を読むようになりました。
祖父は何を考えていたのか。
なぜ青森の歴史を調べていたのか。
祖父を知ろうとすると、祖父が育った土地や時代、関わった人たちのことまで気になってきます。
御製も昔をたどる入口だった
少し話がそれます。私は祖母の影響もあって、以前から皇室に関心がありました。
御製(天皇陛下がお詠みになる和歌)を調べ始めたのも、その延長です。
ところが一首について調べると、詠まれた場所や時代、そのときの行幸、地域の歴史まで知りたくなる。
最近では御製そのものを離れて、皇室にまつわる昔の人物や出来事まで調べるようになりました。
どうやら私は、御製だけを調べたいのではなく、御製を入口に昔のことをたどるのが好きだったようです。
そして、昔のことをたどるようになると、祖父の文章もそのまま受け取るのではなく、確かめたくなってきます。
祖父の文章についても、祖父が書いているから正しいと決めず、できる範囲で元の資料を探し、別の資料とも照らし合わせてみたいと思っています。
何しろ、小学生の孫の文章まで容赦なく添削した祖父です。
孫が祖父の文章を調べ直したところで、たぶん怒らないでしょう。
このブログではこれからも、「故郷のこと」「昔をたどる」を中心に、ときどき「少し寄り道」しながら、気になったことを書いていきます。
※現在、過去記事を整理しています。見直しが終わったものから、順次公開していく予定です。