前回、旧制弘前中学校の沿革を調べていたところ、明治41年(1908年)9月23日の「皇太子殿下御来校」という記録に行き当たりました。
当時の皇太子殿下は、のちの大正天皇、明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王殿下で、東北巡啓の訪問地の一つが弘前だったのです。
そこで、弘前での御動静を詳しく調べようと思ったのですが、その前に一つ気になりました。
そもそも皇太子殿下は、どんな日程で東北を巡られる予定だったのだろう。
また少し横にそれます。
『明治四十一年鶴駕東巡』を見つけた
国立国会図書館デジタルコレクションで見つけたのが、『明治四十一年鶴駕東巡』です。
詳細について話す前に……。
「鶴駕」って何でしょうか?
「鶴駕(かくが)」とは、皇太子の車駕を意味する言葉です。
中国・周の霊王の太子晋が仙人となり、白鶴に乗って去ったという故事に由来する言葉で、「仙人の乗り物」という意味もあります(参考:コトバンク)。
つまり『鶴駕東巡』とは、この場合、皇太子殿下が東方を巡啓されることを表した題名と考えればよさそうです。
官報で発表された東北御巡啓の予定
『明治四十一年鶴駕東巡』の「東宮東巡御發表」には、明治41年9月10日の官報で発表された御巡啓の予定が掲載されています。
主な経由地を現在の地図上にざっくりと置いてみると、こんな感じです。
予定期間は9月12日から10月9日までの28日間。
今回Googleマップ上で主な経由地の役所・役場所在地を現在の道路で結んでみると、約1,270kmになりました。
※上記は明治41年9月10日に発表された予定をもとに、主な経由地の役所・役場所在地を現在のGoogleマップ上に表示したものです。表示されるルート・距離・所要時間は現在の自動車経路によるもので、当時の実際の経路を示すものではありません。
日本海側を北上し、青森県を巡ったのち、今度は太平洋側を南下して東京へ戻る予定だったことがわかります。
大まかな日程を追ってみると、
- 9月12日 翁島 → 二本松 → 福島
- 9月13~14日 福島
- 9月15~18日 福島 → 米沢 → 山形
- 9月19~22日 山形 → 秋田 → 能代 → 大館 → 小坂
- 9月23~24日 小坂 → 弘前
- 9月25~27日 弘前 → 青森 → 大湊 → 青森 → 七戸
- 9月28日~10月2日 七戸 → 盛岡
- 10月3日 盛岡 → 水沢・平泉 → 仙台
- 10月4日~7日 仙台
- 10月8日 仙台 → 原の町 → 富岡
- 10月9日 富岡 → 上野
となっています。
東北六県をかなり大きく巡る予定だったことが見えてきました。
弘前滞在予定は9月23~25日
今回の出発点となった弘前については、さらに細かく、
- 9月23日 正午ごろ弘前着、弘前市偕行社御泊
- 9月24日 弘前御滞留
- 9月25日 午前7時14分弘前発
という予定まで記されていました。
前回確認した弘前中学校への御来校は、この9月23日にあたります。
一行の「皇太子殿下御来校」という記録から始まりましたが、その背景には、東北六県を巡る大規模な御巡啓の予定があったことが少しずつ見えてきました。
ただし、これは「実際の日程」ではない
ここは今回の記事で最も注意したいところです。
『明治四十一年鶴駕東巡』で確認したのは、あくまで明治41年9月10日の官報で発表された予定です。
実際の御巡啓が、すべてこの通りに行われたとは限りません。
実際の御動静を記した資料は残されていますが、今のところ、私は東北御巡啓の全日程を一つの表にまとめた実績資料には行き当たっていません。
各県で作成された行啓記録を一つずつつないでいく必要があるのかもしれません。
弘前中学校で何をご覧になったのかを調べ始めたはずが、いつの間にか東北六県の御巡啓日程を追っています。
気長に調べてみようと思います。
参考資料
- 藤原太郎 (藤花) 著『明治四十一年鶴駕東巡』,文明堂,明41.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/780618 (参照 2026-08-22)
- コトバンク「鶴駕」
